長澤まさみさんは、日本を代表するアカデミー賞女優です。今やドラマや映画、CMなど多方面から引っ張りだこ。
そんな長澤まさみさんが2世タレントであることを皆さんご存じでしたか⁉
今回は長澤まさみさんの父親やまつわるエピソードを調べました。
父親は、ジュビロ磐田の初代監督 長澤和明
長澤まさみさんの父親は、ジュビロ磐田の初代監督の長澤和明さんです。
現役時代はヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)の選手として活躍し、引退後は指導者に転向。1991年にヤマハ発動機の監督に就任。
監督就任中にヤマハ発動機のチーム名が『ジュビロ磐田』に改名したため、ジュビロ磐田の初代監督となりました。
ジュビロ磐田のJリーグ昇格に立役者とも言われています。
長澤和明の指導歴や功績は?
長澤和明さんの指導歴こちらです。
- 1991-1992 ヤマハ発動機<監督>
- 1993 ジュビロ磐田<監督>
- 1995-1996 鈴与清水FCラブリーレディース<監督>
- 1997 田技研工業<監督>
- 1999-2001 ソニー仙台FC<監督>
- 2001-2007 常葉学園橘高等学校<監督>
- 2008-2012 浜松大学サッカー部<総監督>
- 2013 ランセナ新潟FC<監督>
- 2014 北越高等学校<監督>
- 2015-2017 清水東高等学校<ヘッドコーチ>
高校サッカーからJリーグまで幅広い層で活躍されてますね。
続いては功績です。
- 1992 ヤマハ発動機監督として、旧J1(ジャパンフットボールリーグ)優勝
- 1993 ジュビロ磐田監督として、Jリーグ昇格
- 2005 北越高等学校監督として、静岡県大会で優勝し全国大会に進出
素晴らしい指導で輝かしい実績を残しています。
長澤まさみの芸能界デビューは父親の影響力が関係したのか?
長澤まさみさんが父親のことを公表したのは、『世界の中心で愛を叫ぶ』に主演したときでした。
この時すでにブレイクしていたため、2世タレントという肩書きは全く関係なく、完全に長澤まさみさんの実力で芸能界デビューを勝ち取ったと言えるでしょう。
デビューのきっかけはゴン中山⁉
芸能界デビューは長澤まさみさんの実力と努力で勝ち取ったものですが、きっかけは父親の長澤和明さんの影響もあったようです。
長澤和明さんが監督を務めたヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)。そのヤマハに若き日のゴン中山こと中山雅史選手が在籍していました。
ゴン中山さんの奥様は東宝芸能所属の女優・生田智子さん。
長澤まさみさんの母親が女優になりたがっている娘のために生田智子さんへ相談したところ、新人女優オーディションの「東宝シンデレラオーディション」を勧められたとのこと。
見事に3万5153人の中から当時史上最年少の12歳でグランプリを獲得。見事に芸能界入りを果たしました。
長澤和明さんがジュビロ磐田の監督でなければゴン中山さんとの縁もなく、女優・長澤まさみは誕生していなかったかもしれないですね。
まとめ
今回は長澤まさみさんが2世タレントであるというエピソードを調べてみました。
- 長澤まさみさんの父親は、初代ジュビロ磐田の監督・長澤和明さん
- 父親が監督を務めたジュビロ磐田の選手であったゴン中山さん夫妻とのご縁で芸能界入り
- 父親の存在を隠し、実力で様々なドラマなどで女優として活躍
普通なら2世タレントというポジションを利用してしまいそうですよね。そこに頼らなかったからこそ、日本を代表するトップ女優まで昇りつめたのでしょう。
今後の活躍を見守っていきたいと思います!
トレンドニュースランキング